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野口 雅俊 Masatoshi NOGUCHI

特別な意味を持ったイメージや素材達が自分の中でオカルト的な強度を持ち始めたとき、その物語のコントロールルームや登場(人)物にあたるものをつくります。 現実自体は分解できないと思うけれども、身体があるから分解できると思うし、また身体によって再構成したいと思います。

1988年  東京生まれ

ベルリン在住

2012年  武蔵野大学彫刻学科卒

個展

2015    天使の楽屋  Wönnichstraße 28. ベルリン

グループ展

2016 ウッホッホウホウホアートショー 波さがしてっから 京都

2014    Internet Yami-ichi HKW ベルリン

2012    秩父リゾート開発 武蔵野美術大学彫刻学科助手室 東京

2010 渋家トリエンナーレ 渋家 東京

 

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NO TALKING FOR SEVEN DAYS One Million Years ー Focal Distance

野口 雅俊

ハミッシュ・フルトンは歩行という行為自身を作品とする。ある時期より「個人の歩行の経験から結果として生じるアートのみ ONLY ART RESULTING FROM THE EXPERIENCE OF INDIVIDUAL WALKS」という態度を表明する。彼自身の歩行の経験は簡潔な文章、位置、距離、日数、写真(初期に多く使われた)などで示され、作品が言語のみによる場合も多い。彼は自身のことをWalking Artistと名乗り、「コンテンポラリーアーティストが際立ったエゴを持ち決然としていても彼らの美術は安全なところにいる、それに対して登山家は死の危険と隣り合わせだ」と言う。自然に痕跡を残さず、彼は自然から何かを持ち帰って展示したりしない。

 

一見ブランディング広告か彼の旅行スタンプを見つめているような気がしてくる。しかし作品を前に文字を追いながらフルトンが自然の中で制作したプロセスを想像しようとすると、なかなかそれが難しく、作品とそのプロセスとの間に隔たりを感じる。そのそぎ落とされた文章はドライで抑制的、そして数値・位置情報の印象が強い。その文章の即時性と、そのプロセスの不明瞭な時間感覚(彼の感情的な部分、何を思ったのか、時間の流れ、などがない)との噛み合わなさ。そしてプロセスは圧縮されてドライで抑制的な文章で提示されている。フルトンは「経験と作品との相違が現実で橋渡しになり得ることは無い」と言う、彼の経験と制作物はペアなだけであって、1対1関係にはなり得ないし相似的でさえない。ギャラリーで見た他の作品を思い浮かべても、壁の裏の見えないところでフルトンが歩いているのを自分が目の前の作品からどうにか想像しようとして肩透かしにあったのを思い浮かべる。歩行という一般的なアクションは、記載された情報だけからそんな制作のプロセスを肉体的に想像できるような気にさせるのだが、彼の個人的経験と呼べるようなものは地図上の位置、距離、期間、そして抑制された言葉の裏にしまいこまれて、鑑賞者が想像するまで材料のみが放り出されたままになっている。その想像もそのまま像を結ばず宙づりにされる、そもそもそんな経験の疑似体験への安易な要求が退けられている。それに気づくとテキストはフルトンの歩行と私たちとの距離を一気に作り始め、なんとなくの想像であったフルトンの歩行が、過去その歩行が行われた空間・時間の彼の身体に帰っていく。そこでフルトンのいう「結果」の意味に気がつく、個人的経験の制作物への翻訳不可能性ゆえの歩行自身と制作物との距離。7日間の無言であったという経験は「NO TALKING FOR SEVEN DAYS」という文章で語るのが精一杯であり、スコットランドのケーン・ゴームで2月の満月に一木の内を7日間歩行したという経験は「WALKING FOR SEVEN DAYS IN A WOOD FEBRUARY FULLMOON CAIRNGORMS SCOTLAND」で語るしかないのだ。それらの言葉がその彼の実践の「結果」である。制作物は彼の経験への橋渡し・メディウムとしてではなく、経験を独立して置くための「結果」なのであって、その結果が置いてあるだけ。彼の実践とその「結果」としてある制作物、それらの距離を埋めるものを彼は提供しないし、その距離を作ることによってこそ彼の経験が独立し、昇華される。距離を生むために制作物という結果を必要とし、その歩行というプロセスを、匿名の触れることができない経験のひとかたまりとして置く。その経験のひとかたまりこそが彼の作品自身であり、その個人の経験と制作物にあるべくしてある距離を示すために制作物が使われる。

 

河原温はある時期を境に徹底してアーティスト本人の個人情報を隠匿し、美術について語ることをしなかっただけでなく、公共の場にさえ現れなかった。河原温の存在は作品という彼の存在の痕跡によってのみ公共化し、常に距離をもつ。距離とは私と河原温との関係性、作品と河原温との関係性で、時間・空間だけを差さない。この距離に関する感覚が河原温とフルトンを私の中で繋げた。

”One Million Years”は大きく分けてPastとFutureからなる。Pastは1970年から1971年にかけて12セット作られ、Futureは1980年から1998年の間に12セット作られた。その制作期間から過去・未来100万年分の年号を収めた10個のバインダーで1セット。それぞれ1ページ500年で200ページとなっている。それら計24セット1組が”One Million Years”である。PastもFutureもそれぞれの制作年までと制作年からの100万年が記されている。1993年にニューヨーク、ディア美術センターで行われた展示の際の「1994年」という朗読と録音をはじめに、One Million Yearsの朗読と録音が今でも行われ2017年のヴェニスビエンナーレでも行われる。”One Million Years:Past”には「For all those who have lived and died」が、”One Million Years:Future”には「For the last one」がサブタイトルとして付けられている。

 

この一対のペアにおいて、過去編では未来が虚となり、未来編では過去が虚となっている。未来から過去への時間軸の中でこの未来編と過去編は表裏関係になっているが、未来編も過去編も作品が河原温と直接経験した(制作していた)範囲の時間が虚となり、直接経験しなかった範囲は実となっている。未来と過去は彼の直接経験という世界の測り方において、ここでは同様に扱われる(実となって現れている)。直接経験した時間はまだ直接経験していない時間を瞬時に示し、そして逆も然り。100万年という膨大な時間は人間が直接経験できる数字ではない。そこで河原温は直接経験するということを存在という接点から裏返すことによって、その裏返しによる無限長の時間のメビウスの輪を作ることによって、自分の直接経験(公共化した河原温の存在としての作品)を裏返して未経験の時間に触れようとする。”One Million Years”では制作以前の過去にも未来にも作品上に河原温の存在はない、しかしその存在を裏返して把握することで逆説的に未経験の時間をも経験しようとする、その俯瞰的視点にいるのが河原温の過去・未来の区別を持たない接点としてのプレゼントな身体である。これは河原温と同じ存在、似た存在さえないことを強く前提にしている、河原温が世界でただ一人の存在でなければ、直接経験はまだ直接経験していないことを同時に示しえないから。

 

河原温の作品における個は大きな事象の中の短命な存在であるとともに、存在の点をその軸上に強く打つ。その点は私たち自身にも反射し、この膨大なものへの距離を私たちの存在ゆえであることに気づかせてくれる。フルトンの場合、彼の経験は質量を持ちながらも、私たちとは距離を持って違う次元に分断されて置かれている。フルトンは”Each walk marks the flow of time between birth and death:それぞれの歩行が生と死のはざまの時間の流れを印す。”という、彼の歩行は死に触れる時間であって、歩行自身を作品にするフルトンにとって個人的な死に触れるその時間の経験が彼の作品である。現実の時間と生と死の狭間の時間との距離、その個人的な時間意識がフルトンの経験と私たちとの距離だ。このフルトン・河原温両者の実践が近寄ることによってではなく、距離をそのままを示すことによってされていることに注目したい。

ハミッシュ・フルトンの作品によく用いられる満月や7という数字、長距離・短距離を周遊する歩行、冬至。河原温の作品のなかではOne Million YearsとTwelve Sunday Paintingsに12という数字が登場し、Twelve Sunday Paintingsは過去のtodayシリーズのなかから日曜日だけを1月から12月まで一つずつ抜き出したものだ。The moon landing paintings from todayという月面着陸の作品もある。この両者の周囲に漂う宇宙に対する視点を思うと、河原温は量子テレポーテーションの話を思い出させるし、そしてハミッシュフルトンは経験的に宇宙を体験しようとする仏教哲学的世界観を思わせる。両者ともに宇宙における現象が、離れた時間・空間にあっても相互に影響し合っているという世界観を持つが、前者は演繹的なのに対して後者は帰納的だ。この視点の差がこの二人のアーティストの大きな違いかもしれない。

存在と死は私たちが生まれたときすでに条件として一緒に生まれるが、どうやって経験され得るか。この存在と死に対する一つの宇宙体系を経験しようとした時、彼らの態度は、それらと私たちの距離はそれら自身をメディウムとして経験されないことを示す。存在は存在を用いてのみ経験されるし、死は死に面してこそ経験されうる。この二人のダイレクトな経験への欲求はその焦点距離を確かめるがごとく、その欲求に対して距離を保ちつづけようとする。そして存在・死の個人性は他者のそれと距離を持つか否か、条件を同じにしながらも定かではないその経験の共有可能性への問いが彼らの作品には現れる。しかし彼らの作品は距離を顕にする例を残すだけで、なお距離を示し続ける。その距離を無視すれば、それらは価値を損なう、距離こそがその価値を認めさせるから。